印象操作、ということについて考えてみる。
先日閉会した国会で、安倍晋三首相が連呼したことで人口に膾炙(かいしゃ)するようになった言葉だけれど、あまり知らない言葉なので辞書を引いてみた。
「広辞苑」によれば「他者に与える自分の印象を、言葉や服装などによって操作すること」とある。
普通に読めば、他者の印象を操作する主体は自分であるように受け取れる。しかし、国会開会中の首相は、「他者(国民)に与える自分(首相)の印象を、(野党が)言葉などによって操作すること」と解釈して使っていたようだ。ひょっとしたら、辞書に「自分」と書いてあったら、「自分=私自身」と読む癖をつけておられるのだろうか。
ともあれ私、というのは、このコラムを書いている私自身だが、首相にとっても野党にとっても「他者」であると思われる、一国民としての私が、誰によって、どのように印象を操作されたかについて、考えてみようと思う。つまり、「国民に与える首相の印象を、誰がどのように操作したのか」をである。
まず私に与える首相の印象を決定的に悪くした要因は、首相自身の言葉や態度の傲慢さだった。
私の印象に残っている首相の答弁は、「印象操作だ」「民主党もやったことだ」「ヤジをやめてくださいよ」といった、本質から離れた言葉の連呼であり、質問に答えている姿がほとんど印象にない。それ以上に印象に刻まれてしまったのは、「早く質問しろよ」とか「くだらない質問で終わっちゃったね、また」といった、首相自身のヤジだった。私が、些末(さまつ)なことにばかり気を取られる性格なのかもしれない。しかし、印象がそれほど大事ならば、これは、首相が私(国民)の印象操作(本来の意味の、自分自身を他者に芳しく印象付けるという意味でのもの)に失敗したと言えるのではないだろうか。
もう一つ、一国民としてこの国会で非常に印象的だったのは、金田勝年法相が野党の質問に答えようと手を挙げたときに、横から大慌てで肩を押さえて止める首相の姿だった。法相に答弁に応じてもらっては困るという切実な首相の思いが印象付けられた。
首相は19日に記者会見を開き、「印象操作のような(野党の)議論に強い口調で反応した私の姿勢が、政策論争以外の話を盛り上げた。深く反省する」という趣旨の発言をしたが、どう考えても私の印象を操作したのは、野党ではなく、首相自身だったのである。
そして「共謀罪」の構成要件を改めて「テロ等準備罪」を新設する改正組織犯罪処罰法の審議が、法務委員会での採決を経ず、いきなり参議院本会議で強行採決されたことも、衝撃的だった。国民の大多数が理解しておらず、多くの専門家や識者が反対の声を上げていたのに、「奇策」とも言われた本会議採決で決めてしまって、さっさと国会を閉じてしまった。あまりに国会をないがしろにした態度だと感じた。
与党がこんな異常な国会対応をせざるを得なかったのにはなにかあるはず。連日話題になっていた「加計学園問題」を、これ以上野党に追及されないために違いないという印象は、残念ながらぬぐえない。
いま、首相、官邸、与党に対する不信感は、パンパンに膨れ上がった状態だ。
しかし、首相、官邸、与党、政府が、私の感じている疑惑に誠意ある答えを出してくれれば、印象は変わるのかもしれない。
憲法第53条には、衆参いずれかの総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は臨時国会の召集を決定しなければならないとある。野党の要求に応じ、速やかに臨時国会を開き、国民に与えた印象を変えるための真摯(しんし)な姿勢を示せばいいと思う。
ただし、2015年の秋に安倍政権は、この憲法の規定を無視して国会を召集しなかった。これはたいへんなことで、私に「憲法違反の政権」という印象を与えたできごとの一つだ。
首相や政府・与党の言動から、私が持つに至った「印象」は、果たして「操作」あるいは「操作」の失敗によるものなのだろうか。傲慢さや横柄さ、不遜さは内面からにじみ出てくる。表面的に態度を変えてみても、なかなか人に植え付けた印象まで変わるものではないだろう。=毎週日曜日に掲載
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