この間、新聞の広告欄にドーナツの穴を残して食べられるか?というタイトルの本が出版されている広告を見た。これは、個人的には非常に興味深い出来事である。そもそも、ドーナツの穴をどうやって捉えているのだろうか?おそらく、これがその本を左右すると言っても過言ではない。正式な答えは、大学教授に頼むとして、僕なりの解釈を披露したい。
そもそも、ドーナツの穴って必要なんだろうか?と、僕は、そこから考える。もし、世界中にありとあらゆる穴の開いているドーナツを集め、どうして君達は穴などを作ってしまったの?と聞くしかないのである。そりゃ、君達だってドーナツに穴があいていることは恥ずかしいよね。と聞くと、穴があいているドーナツ達は、「別に、穴があいていようがあいてまいが関係ないっす!」と答える。
この際ハッキリ言っとくけれど、穴の開いているドーナツって、食べ応えがないんだよね。何だか食べていると、歯が空振りをしているかのようにカスッとなるんだよね。本当に穴だけを残して食べられるのだろうか心配になってきた。
そもそも、先述したとおりに、ドーナツの穴は本当に必要なのかどうかを論じていかなければならない。何故、ドーナツに穴があいているのか?それは、プロのアスリートに、「どうして、この競技を続けられるのですか」と聞いて、「辛いけれど、本番で良い仕事が出来れば達成感を味わえるから」と言った答えが返ってくるだろう。
一方で、ドーナツ達に「どうして穴があいているの?」と聞くと、あからさまに愚問とばかりに、「出来上がったときから穴があいているから」とにべもない返事である。そうなると、ドーナツには穴があいているということは歴然たる事実なので、冒頭に述べたように、ドーナツの穴を残して食べられるのかということを考えていきたい。
そもそも、ドーナツの穴というのは、ただ、単純に穴があいているのか、学術的に穴があいているのか、どちらかを選択して考えていかなければならない。学術的に考えるのは学者さんにまかして、単純に穴があいていることを考えていきたい。
これから、個人的な見解を発表したい。ドーナツの穴を残して食べるのは、可能であると同時に不可能である。と言うのも、ドーナツの穴を残すということは、お皿の上に会ったドーナツを食べ終えて、まるでエアーギターならぬ、エアードーナツの穴である。可視化できないけれど残っていると言えば残っている。と同時に、やはり、ドーナツの穴は、現実的には可視化出来ないので、不可能とも言える。ドーナツの穴というのは矛盾をはらんでいる食べ物と言える。