〜「チーズはどこへ消えた?(Who Moved My Cheese?)を読んで〜
こんにちは。Kuroです。なんとなく「それ以外」の時間が日常を埋め尽くしておりまして、SNS等での交流がおろそかになっていましたが、「情報は発信してこそ価値を持つ」というとで、重い腰を持ち上げて投稿ページを埋めている次第にございます。
さて、最近になって分かったことがあります。
あるいは再認識なのかもしれません。
それは
世の中は「分からないこと」しかないということです。
なんとなく、他人の言っていることも。世の中のデータも、教科書の上の数式も、僕は分かっているような気がしていました。いや、そんなもの分からなくて当然だと認識した上で、分かった態度を取っていたのかもしれません。
宇宙空間に浮かぶ塵のようなものを、自分の認知の世界だとしたときに、果たして僕はどのような姿勢で世の中を泳いでいけば良いのでしょうか。
そのような考えに至ったきっかけだったのかもしれません。あるいは、そのような考えをしていたから巡り合ったのかもしれません。
一冊の本を読みました
「チーズはどこへ消えた?」という本です。
内容は、いったって短い、そしてものすごく単純な物語でした。
2匹のネズミと、2人の小人が、チーズという名の幸福を求めて、迷路という形をした人生(鼠生?)を探索していくお話です。
その物語には、物事をシンプルに捉え、本能のままに行動するネズミと、自分の知識に固執し、変化を恐れ、問題の本質から目をそらす人間の姿がありました。
どちらが「あるべき姿」か。そんなことを伝えるものではありませんでした。しかし、四体の典型的な生き様を通して、自分の人生の在り方との対比から、読者に何か示唆的なものを伝えている物語であると感じました。
さて、今現時点での僕の持論はこうです。
「単純さ(あるいは素直さ)はとても大切なもの。自分をある一定の高みへと素早く到達させ得るもの。しかし、単なる単純さでは精細さを欠き。そこには限界がある。」
自分が何も分かっていないことを理解し、分かっていないことに甘んじない。分からないからこそ柔軟に受け入れ、分からないからこそ真剣に向き合い吟味する。
そんな姿勢が重要なのではないかと思った次第にございます。
優れた経営者は、ものすごく合理的なはずなのに、信心深い。そんな話を聞いたことがありますが。ものすごく論理的な人が何か超科学的な存在を信仰する。そんな一見矛盾した状態も何となく分かる気がしました。
さて、本題
なぜトイレ掃除をしているのか。
僕の欠点は、分からないことを受け入れ、未知を取り入れる「素直さ」に欠けることだと認識しております。だから、僕がどうしても理解できない「トイレを綺麗にする人は出世する」という、ある意味美学とも取れる行動を、まずは考えなしに実践してみる。(たしか、ビートたけしさんが実践してるとか。。。(ソース不詳))
そんな、心構えでもあり、自戒でもある。そういった意味が、僕の「トイレ掃除」には込められているのです。
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