二度目の容疑者尋問通訳が終わって2週間後に、また韓国人容疑者尋問の仕事が入って来た。
お金かけて他国まできて、静かにせんと、犯罪やら起こしてどうするんたいと、ぶつぶつ言いながら運転して行った。
到着すると、前回に尋問した二人の保釈手続きだった。面倒な入場手続きも3回もしたら慣れっ子になってすぐに終わらせて拘置所本館ロビーに到着した。同行警察が連絡したら二人が並んでオレンジ色の服に素足でスリッパ姿で出てきた。表情が明るかった。
保釈書原文を条目こと訳し聞かせ理解を確認した上サインを受け、入る時扱われた個人の持ち物を受け取り確認サインと指紋を押して手続きを終らした。更衣室がないのでトイレで服を着て変えるようにした。着替えた二人は先ほどとは全く別人だった。二人が向かい合ってにっこり笑った。ロビーをで出てビル前の庭にきたら、10メートル先に大型の鉄門があり、鉄門の前2,3メートルの所に赤の警戒線が床に引かれていた。警察が警戒線を指し、そこに立ってと言ったら二人は何も言われてないのに警戒線の前に座り両手を頭に当てた。何か教育を受けた姿勢であった。
警察と私は隣の小さなドアを出て、鉄門の裏側に来た。棍棒を手にした軍人二人が来て、門の前に顔合わせて立った。警察が警備室に手をあげると鉄門がゆっくり開かれた。座ってる二人の姿が現れた。警察が出てこいの手ふりをすると、二人は立ち上がり出てきたが、棍棒を握った兵士の近くに来た時、「ハ〜! "という声と棍棒で殴る動作をし頭上で止まった。二人は、気付かないぐらい短い一瞬驚い梗塞した表情だったが、すぐに表情を緩め棍棒の下を通って、私たちに向かってきた。
警察:「あそこのドアを出たら保証人が待ってる。保釈期間に連絡つかないことないように携帯管理すること、北京を出たらため。」
二人:「はい」
二人は挨拶して出口に行った。
私も挨拶して、その後ろを歩いた。
ドアの前に来ると連絡されたのか自動ドアがゆっくりと1メートルほど開いた。二人はそこを通って出ていった。道路の向かいに止まっていた車から1男1女が降りてき満面の笑みを見せた。
女性:「お疲れ様でした」小さくお辞儀した。弁護士かな?家族やよく知っている仲間ではないようだった。
私は自動ゲイトの側にある小門を開けてくれと要請してそこから出てきた。何故か同じ所から出てくるのが嫌だった。
彼ら四人は明るく笑いながら話を交わした。法的年齢では大人であるが、まだ独立していない子供たちが拘置所から出際の頭の中での場面とは距離が遠かった。偶然知り合いの弁護士の友人が冗談絡みでいったことが思い出された: 「正義も何んもない、お金を出した依頼人のために働くもんた」
数年前に全国で大騒ぎになった李天一事件が思い出された。お母さんが拘置所から出てきた息子の為に、輸入車を買ってやったり、慰労パティーを盛大にしてあげたと、犯罪した息子を褒めたことになってしまい、結果的に再びもっと大きい犯罪事件を起こしたという。反面教材としてソーシャルメディアで次々へと伝送されていった。李天一の爸爸-李双江は国民歌手だったが、今は歌手のことは忘られてしまい、李天一の爸爸だけで記憶されている。
事実上、割に反省してる子も自分が今後受ける不利益だけを心配しており、被害者が脳震盪だということについては全く反省しなかった。