1年生の担任になる。
1年生の担任は初めてだ。
その時私は高学年の担任をたくさんした。
私が男という理由、若いという理由、さらにクラスに乱暴な男子供がいて。
そんな理由で高学年を担任しなければならなかったとき、その時は使命感が少しはあった。
私が教師になったのが良かったし、子供たちの黒い瞳を見ると、なかった熱情ができた。
しかし、私の情熱は私だけの熱情だっただけで、
子どもたちの暮らしを理解する水準には不足した。
それで私を経た子供たちにすまない。
教師らが避けたい学年は6年生と1年生だ。
6年生は、思春期を控えており、言葉を聞かずに食ってかかる子供が多く、つらくて
1年生は幼すぎてできることがあまりないからだ。
二十年が過ぎても私は1年生をして見たいとしなかったんですが…
私が1年生を担任してみたいという考えをした自分の子どもが1年生に入ってからだった。
どんな状況でも面白がって小さいことをしながらも楽しんでいる子供を見ながら
あんな子供を一つの教室に集めておいて教えてみたらどうかという想像をした。
しかし、先輩教師たちの考えは違った。
1年生の子供たちは手がたくさん行くと言った。
トイレ使用から友達を付き合う方法、昼食時間にスプーンを使用する方法までいちいち一人ずつ教える仕事がきついとした。
実際にどうして1年生の教室に代わりに授業をしてみたらそうだった。
子供達は戦って泣いて言うことをきかなかった。
折り紙をしようと色紙を持って行って一時間その間中子供たちを席に座らせるしたり、
急に机の上に吐いた子供を世話したため、一時間が過ぎたりもした。
お昼時間には、プレートを持っていく途中に急に地面にこぼすもして
食べたくもないおかずを密かに床にしまうことも、理由もなく友達の顔を批判する子供たち。
しかし、1年生の子供たちは、他の学年の子供たちが持てないでいる魅力がある。
汚れない、純粋にして、友達と付き合いたくてして、この世の中に対する絶え間ない好奇心がある。
私は1年生の子供たちに勉強より美しい自然を、私のそばにいる友達を先に好きにさせたくなかった。
これこそが自分の傲慢かも知れない。
私が1年生を任されたとした時、先輩たちはこのように忠告した。
"1年生はまだ人がないと思いなさい。 それではあまり大変になるよ。"
すでに世の中に馴らされた私が率直な子供たちと同じ教室で人と人と会って一年を過ごしながら人間の生の本質を確認したい。
その子供たちが世の中の厄介さ、小利口さ、権謀術数を学ぶ前に
この世界は美しくて面白くて良い友達がいるということを分かるようにしてやりたい。
そうするには私がまだ足りないけど、努力してみると、<まだ人がそうでない子供ら>と<大人だが、依然として足りない>私が一緒に人がなれるんじゃないか?
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