クールでミステリアスな天才役者。真木よう子にそうしたイメージを持っている人は多いかもしれない。だが、そのいっぽうで2009年には娘が誕生し、私生活を発信するSNSは多くの人の支持を得ている。多様な魅力を持つ真木さんの人生の「THE CHANGE」とは――。【第1回/全5回】
■【画像】真木よう子、撮影時のシックなドレスとまったく違うラフすぎるポカン口とラフすぎるスタイル
取材場所はKADOKAWA富士見ビルの9階にあるラウンジ。そこに黒のシックなドレス姿の真木よう子さんがやってきた。
「お願いします」と、凛とした雰囲気で席に着いた真木さんだが、机に置かれた「THE CHANGE」のシンボルである青い砂時計に目を止め、人差し指の爪の先で、ちょんちょん、と質感を確かめるようにつつく。そのしぐさは自然かつチャーミングで、不思議な魅力を放っていた。
2007年放送のドラマ『SP 警視庁警備部警護課第四係』(フジテレビ系)など、これまで数々の名作に出演してきた真木さん。輝かしい経歴を持つ彼女に、人生の転機、「THE CHANGE」を聞くと、意外な答えが返ってきた。
「実は、娘が生まれた時に、俳優を辞めようと思っていたんです」
真木さんは、2008年に結婚し、2009年に娘を出産。俳優として勢いに乗った時期と、私生活の転機が重なったのだ。
真木「本当は、普通のお母さんとして子育てをしたかったんですよ。でも、私が働かなければならなくて……。そういうタイミングで、CMとか、大きな仕事が舞い込んだりして。
なんか、まるで、娘がこれ(俳優業)で私を食わせてみろって言っているような、そんな運命に思えて。
考えようによっては、普通のお母さんになれる機会を奪われてしまったので、私の人生にとって最大の転機であり、危機だったんですよね。母親という座を取られる危機。ま、結果的には取られたんですけど」
自分の俳優としての原点に立ち帰らなきゃいけない
普通の母親をあきらめて、俳優を続ける。そんな運命を強いられた真木さんは、俳優としての自分を見つめなおしたという。
真木「じゃあ、この子を育てるために頑張って仕事をするのかと言うと、そうじゃないなって。
自分の中にあった、芝居をするのが好きだという気持ち。小学校ぐらいの時に、ひとりで芝居ごっこをした時の、あの熱量。そういった、自分の俳優としての原点に立ち帰らなきゃいけないと思ったんです。
そして、ママは自分が好きな仕事をやって、お金を稼いできているんだよ、って。そう言えないといけないな、って思った時期があったんですね。娘のためとか、他の誰かのためっていうのは、いずれダメになる気がして。本当に自分が好きな仕事だと、胸を張って言えるように頑張ろう、って。
それから、めちゃくちゃ映画を見たりとか、いろんな俳優さんの演技を見たりとか、あらゆる芸術を好きになるという作業をしました。それで、今は、本当に俳優という仕事を好きになれて、お芝居にも真摯に向き合えるようにな