天使が私を訪れたときの様子と彼の任務
アメリカイリノイ州シカゴ市
55-0117
1この会場にいくつかテープレコーダーが置かれているのが見えますが、それで、私がこうしてお話ししていることが、もちろん、録音されているわけです。聖霊があなたがたに、いったい何を言われたかを知りたいときには、いつでも、これらのレコーダーをもっている兄弟の誰かにに頼めば、すぐに再生装置のボタンを押してくれて、あなたが知りたいことを明確にしてくれるでしょう。そして、同じことが、まったく聖霊が言われたとおりに、あなたにも起こるかどうか、よく気をつけていればよいのです。あなたが、「主はこのようにおっしゃっている」とか、あることがらについて、「これはこのとおりなのです」と語る声を耳にするとき、あるいは、それは本当だろうかと思うとき、ただ良く調べてみればよいのです。いいですか。いつでもそうなのです。
2ここでちょっと裏話を申し上げますが、、、まあ、私は今晩楽しい気分であります。と言いますのは、ここにいるのは、ごく少数の私たちの仲間だけだからです。私達は、ただの家庭的な人間であります。違いますか。みんなお互いに顔見知りの間柄です。私たちは...ちょっと、いまケンタッキー方言で言うと、まさにぴったり私の気持ちが言えるのですが、なぜかというと、私達は—私達はただ...まあケンタッキーの話で皆さんを戸惑わせるつもりはありませんが、もしかして、この会場にケンタッキーの方がいらっしゃると、ちょっと、ここにケンタッキーからいらっしゃった方が居られますか。手を上げてみて下さい。これは、これは。これで私はまったく気楽にしていいわけですよね。たいへん結構なことです。
私の母親は、いぜん下宿屋をやっておりました。ある日私が訪ねていきますと、、、そこには大勢の男性の下宿人がいて、長い、大きな食卓がありました。そこで私は聞きました。「ケンタッキー出身の方は何人居られますか、立ってみて下さい。」すると全員が立ち上がりました。それから、その晩私は教会、私の教会へ行って聞きました。「ケンタッキーから来られた方は何人いらっしゃいますか。」全員が立ち上がりました。「はい、たいへん結構です。」と私は言ったんです。伝道師の方たちが立派な仕事をしてくれたのですね、—それは、それで、ありがたいことであります。
3さて、ロマ書の11章、28節にこうあります。読みますので注意深くお聞きください。
福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。神の賜物と召しとは、変えられることがない
お祈りをいたしましょう。主よ、お助けください。今宵このように、私たちは敬虔に、心を込めて、誠実に、この課題に取りかかろうとしております。私の言葉は、すべて主の栄光を称えるためのものであります。主よ、私をお助けください。私に、ここで何を言うべきか、どれだけのことを言うべきか、お教えください。主がお言葉を述べられるときには、私に沈黙をお命じ下さい。私は、私の話を聞いて居られる皆さんの中の病気の方や貧しい方のために、すべての人々がこれらのことを受け入れるようお願いします。なぜなら、私は、それをイエスキリストの御名のもとにお願いするからであります。アーメン。
4さて、私は、参会者の数がまだ少ないうちに、この課題を取り上げたいと思います。そして、まあ、手短に申し上げます。ここに、私の時計を置きまして、できるだけ早く終えて、皆さんが明日の晩お戻りになれるようにしたいと思います。では、お祈りをしましょう。ボーイがカードを配っていないかもしれませんね。私は、彼に聞きませんでしたが、配ったのか、配らなかったのか、どっちでも構わないのですが。いずれにせよ、もし必要なら、ここにもカードが何枚かあります。それで、もし配られていなかったら、だだもう、聖霊が何といわれるか聞いてみるだけのことであります。
それでは、注意深くお聞きください。これは、もしかすると、、、私が、何ですから、、、これは、ごく少数の仲間の集まりですから、このことをお話しするには好都合かもしれません。なぜかと申しますと、これは—これは、私個人に関する事柄だからであります。私がさきほど読みました聖書の箇所も、実はこのことに関係があるのであります、つまり天賦の才能とか神のお召しとかは、決して、誰もがそれに値するは限らないということを知っていただけたらと思うのであります。
5パウロは、こう言っています。「ユダヤ人は、私たちのために、福音の立場から見れば、めくらとなり神から離れた。」しかし、彼は、そのすぐ前の節で、「すべてのイスラエルは救われる。」と述べています。すべてのイスラエルは救われるでしょう。選びの見地からすれば、父なる神は、彼等を愛し、そして盲目にしたのです。それは、私たち異邦人には悔い改める機会を与え、また、アブラハムの子孫たちは神の言葉通りに、世界のすべてを祝福し、神の権力がどのようなもであるかを知らせるためでした。神の言葉はまさにその通りでなくてはなりません。神はそれ以外の何ものでもありえません。そして今、私たちが、、、神は私たちを選びました。神はユダヤ人を選びました。そして神は、、、
6これらのことは、すべて神の予知されていることです。神がこれらのことについて将来どうなると語られたとき、神はすでに知っておられたのです。ところで、神は、神であるゆえに、初めから終についても知っていなくてはなりません。そうでなくては、無限の神とは言えないでしょう。神には何ものをも滅ぼす意図はありません。絶対ありません。神は何ものが滅びることも望まないのです。
しかし、この世の始まりのとき、世界、神は正確に誰が救われ、誰が救われないかを知っていました。神は、人々が滅んでしまうことを欲しません。「誰が滅びることも神の意図ではありません。むしろ誰でも救うのが神の意図です。」しかし神は最初から誰が滅び誰が滅びないかを知っていました。それだからこそ、神は、「このことが起こるだろう。」とか、「あのことが起こるだろう。」とか「これはこのようになる。」とか、「この人はこのようになるだろう。」と予知することができるのです。おわかりですか。
7神が予知できるのは、神が無限だからです。そのことの意味がおわかりですか。それはまさに、「神の知らないことは何もない。」ということにほかなりません。でしょう?神は知っています。えっとですね、時間より前のこと、そして時間のあとのことをご存知です。でしょう?神は今だにすべてのことを知っています。すべてのことは神の御心のなかにあるのです。そうであるなら、ロマ書八章と九章でパウロが言ったように、「それならなぜ神は、なおも人を責められるのか。」私たちはそう思うのです。しかし神は、、、
福音書について説教しているときなど、誰かが「ブラザー?ブレナム、あなたはこのようなことを信じているのですか。」と聞かれたことがあります。
「いいですか。」と私は言いました。
「あなたは、カルビン主義者に違いない。」とその人が言いました。
「カルビニストとが聖書に存在する限り、私はカルビン主義者です。」と私は言いました。
いいですか。あの木には枝がありますね。あれはカルビン主義なのです。しかしその木には、ほかにも枝があります。木には1本以上の枝があるものです。木はただ枝をあのように維持して永遠の保障に到達しようとするのです。このように見ていけば、やがて普遍救済説に至り着くでしょう。そして、そのうちまたどこかに寄り着きます。もうきりがありません。でも、あなたは、カルビン主義を卒業したら、また戻って、アルミニウス派の教義を始めます。いいですか、その木には、もう一本の枝があるのです。どんどん続けて下さい。その全部が集まって木になるのです。というわけで、私は、カルビン主義が聖書に基づいている限り、それを信じます。
8また私は信じます。神は、この世界を作られる前に、神の教会をキリストの名の下に選び、そしてこの世界を作られる前にキリストが殺されることを知っておられた。聖書にこう述べられています。「彼はこの世界の始まりから殺されることが分かっていた神の子羊である。」いいですか。またイエスは、主はこの世界を作られる前から私たちを知っていたと言われました。パウロは言いました。「神は、私たちのことを知り、イエスキリストの養子として縁付けることを、すでにこの世界の創造以前に定められた。」それが神です。それが私たちの父です。わかりますか。
ですから、なにも心配することはありません。物事はすべて正常に運行しているのです。すべてのことが順調に進んでいます。ただその運行に乗りさえすればよいのです。それは—そこがいいところですが、運行に乗っていれば、自分がどう働けばよいかわかります。
さて、ここで気付いていただきたいのですが、私は主が私に天職を授かれた聖書に基づいて「悔い改めることなしに授かる神の賜と召し」としか説明できません。私は今夜ここにおられる皆さんに、友人としてこのことを理解していただけ、私が個人的なことを言っているのではないとわかって下さると信じます。そして、皆さんがまさに主が御自分はなにをなさるのかを言われたことを知って理解し、何か動くものを見つけ、それについていくと信じます。
9さて、初めに、私が覚えている最初の出来事は、一つの幻影です。私が思い出せる最初の記憶は、主が私に下された幻影です。これはずっとずっと昔のことです。私は小さな子供でした。私は手に石ころを持っていました。
ちょっと恐れ入りますが、私は、自分が長いドレスを着ていたときのことを思い出すことができますが、皆さんのなかで、子供たちが長いドレスを着ていたころのことを覚えているほどの年配の方がいらっしゃいますか。ここで何名の方が小さな男の子たちが長い、そう、長いドレスを着ていたのを覚えていますか。とにかく、私は覚えているのですが。私は、私たちが住んでいた古い小さな小屋のような家で、床の上を這っていました。その時誰かが—誰だか私にはわかりませんでしたが—入ってきました。それで、母が、私のドレスに、小さな、小さなリボンを縫いつけてありました。私は、やっと歩き始めたころでした。私はそのとき這っていました。それで、私は、その人—その人は暖炉の側に立って暖まっていた—の足に残っていた雪のなかに指を突っ込み、その雪を口のなかに入れました。母が私をぐいと引っ張り上げていたのを覚えています。
10次に私が覚えていることは、それから2年ほど経ったあとのことに違いありません。私は小さな石を持っていました。そのことからすれば、私はきっと3歳ぐらいだったのでしょう。そして弟がまだ2歳にもなっていなかったと思います。私たちは、裏庭に出ていました。そこに古い木切り場がありました。木を持ってきて切るところです。どれだけの方が裏庭に木を引っぱってきて切っていたころのことを覚えておいでですか。いやっ、私は今晩ネクタイなど締めてきましたが、必要なかったですね。まったく楽な気分です。
それから、彼等が、、、そこの古い木切り場に、泉の方から小さい流れが伸びてきていました。泉には、古い瓢箪の柄杓が置いてあり、私たちはそこで水を汲んでバケツ—杉の木で作ったバケツ—に入れ、家に運んでいたものです。
11私は、年とったおばあちゃんに、彼女が亡くなる前に、最後に会ったときのことを覚えています。彼女は110歳でした。彼女が亡くなったとき、息を引き取る間際に、私は彼女を抱き上げ、このように抱えていました。彼女は手を私の首に回して言いました。「いとうし孫よ、おまえの魂に、今も将来も神の御恵がありますように。」祖母は、一生の間、自分の靴というものを1足も所有しなかったと思います。私が若者であったときでさえ、訪ねていくと、彼女は毎朝起きて雪の上を裸足であの泉まで行きバケツに水を汲んできたものです。彼女の足は頑丈で痛むことはありません。彼女は110歳まで長生きしました。本当に彼女は頑丈な人でした。
12あるとき祖母が、父が子供のころ遊んだというビー玉を私に見せてくれることになりました。「かわいそうなおばあちゃん、どうやって屋根裏に上っていくんだろう。」と私は思いました。小さい、二部屋しかない掘っ立て小屋に屋根裏がついていました。そこに二本の若木を切って梯子にしたものがかかっていました。私は、、、気の毒に思いました、、、彼女が言いました。「じゃ、夕ご飯がすんだらお父さんのビー玉を見せて話を聞かせてあげるからね。」
「ああ、いいよ。」と私は言いました。
そういうわけで、おばあさんは、昔の人がしたように屋根裏のトランクの中にしまっているビー玉を見せようというのです。「あの年とったおばあちゃんがどうやってあの梯子を上るのだろう。」と私は思いました。それでそこへ行って言いました。「おばあちゃん、ちょっと待って、私が先に上がって手を貸してあげよう。」
「退いて。」と彼女は言ったかと思うと、するするとまるでリスのように梯子を上り、「さあ上がっておいで。」と言いました。
「はい、おばあちゃん。」と私は言いました。
「驚いた。自分もあのようにできるだろうか、あんなに力があって、しかも110歳の年で!」と私は舌を巻きました。
13そのほかに、この小さな泉について思い出すことですが、あるとき私は、泥の中に石を投げていました。弟に自分の力を自慢するためでした。近くの木で小鳥がしきりに鳴いて飛び回っていました。ロビンか何かであったのでしょう。ふとその小さなロビンが私に話かけているように思えて、私は振り向いて耳を傾けました。すると鳥は飛び去ってしまいましたが、私の耳に声が聞こえました。「あなたは、ニューアルバニーという町の近くで、生涯の大半を過ごすようになるだろう。」
そこは、私の育った所から3マイルのところです。約1年後、私はそこへ行きました。そんなことになるとは夢にも思わなかったのですが。ニューアルバニー。私の人生の中で、こんなことがあろうとは、、、
14ここで申し上げたいのですが、私の両親は、宗教的な人ではありませんでした。父も母も教会へ行きませんでした。以前はカソリックでした。
私の若い甥が今晩ここにいるはずですが、よく分かりません。彼は軍人です。私は彼のために祈ります。彼もカソリックです。今もカソリックです。今度彼がここに来て私と会ったときに、彼は神の行いを見ました。彼はちょうどこの演壇の上に立っていました。そこに立ったまま彼は言いました。「ビル叔父さん。」と彼は言いました。彼はこれまで長い間海外にいました。「私がそれを見たとき、、、」と彼は言いました。「それ、、、そんなことはカソリック教会では起こりません。」と言いました。「それ、、、私は、、、ビル叔父さん、私は、あなたが正しいのだと思いますよ。」
それで私は言いました。「あのね、正しいのは私じゃないんだよ。正しいのは神さ。(わかりますか)神が正しいのさ。」そして彼は言いました、、、彼は、、、私は続けました。「いや、メルビン、私は君に何かをしなさいと言っているんじゃないんだよ。ただ、主イエス?キリストに心から仕えなさいと言っているんだよ。どこへ行ってもいいのさ。大事なことは、心の中で、イエス?キリストが新しくお生まれになったと確信することだよ。(わかりますか)そうすれば、そのあとどの教会へ行こうと同じことさ。」
15さてしかし、私の家は、代々はカソリックでした。私の父はアイルランド系で母もアイルランド系でした。アイルランド人の血筋を引いていないのは祖母だけで、彼女はチェロキーインデアンでした。母はちょうど半分半分の混血ということになります。ですから私は、、、私にとっては、私の、、、私たちの世代、3代経つともうおしまいで、消え去っていしまいます。しかし、そこの所だけが血統の破れ目になっていて、あとは純粋のアイルランド人の家系です。名前は、ハービーとブレナムですが、ライアンという、これもアイルランド系の名にもつながりがあります。この人達はすべてカソリックです。しかし、私自身は、子供のころ宗教的な訓練とか教育を受けたことは一切ありません。
しかし、私の賜—幻影のことですが—私がその頃見た幻影は今見るのと同じです。そうです、それは、賜とお召しは悔い改めなく授かるものだからです。それは神の予見です。神が何かをなさるのです。私は今までずっとそのことに触れることを恐れていました。
16皆さんは、小著「イエスキリストは昨日、今日、未来にかけて変わり給わず」で私の話をお読み下さったと思いますが。それは、他のいくつかの本にも出ていると思いますが、ジーンさん、違いますか。それはこの、この正規の本—今読んでいる本—にも出ていますか。そうですか?「自叙伝」?確かそうです。では、私たち、私たちは、、、ちょっと、これはひどい話ですね。私自身の本、それを本人が読んだことがないのですから。だれか他の人が書くのです。集会でいくつかのことを書き留めたのでしょう。私は、もうそれらのことを経験しました。いつも何か他のことが起こることを期待しています。まあ、それらはいい本です。私は機会があれば、あちらこちら拾い読みしております。
17さて、とにかく、小さい子供のとき、幻影が私に話しかけたときの様子ですが、私は7歳ぐらいでした。神がこう言われたのです。「酒を飲んだり、たばこをすったり、または体を汚すような一切の行為を慎みなさい。あなたが大きくなったときやってもらう仕事がある。」この話を、あなたたちは本で読んだことがあるでしょう。その通りなのです。それはずっと起こり続けているのです。
私が牧師になったとき、そのときから、それは本当に始終起こるようになりました。
そして、ある夜私たちの主イエスを見ました。私がこの話をするのは、聖霊から許しを得た上のことです。主が遣わされる天使は、主イエスではないのです。幻影の中で、天使は主と同じには見えません。というのは、私に現われた幻影の中の主は小さい方でした。主は決して、、、私は野に出てわたしの父のために祈っていました。それから家に帰って寝床に入りました。その夜私は父を見ました。私は、「おお神よ、父を救い給え!」と言いました。
18母はすでに救われていました。私は彼女に洗礼を施しました。そのとき私は、「ああ!」父は酒を飲みすぎた。「もし父に主イエスを受け入れさせることができたら!」と私は思ったのでした。私は出て行って、表の部屋の扉の近くにあった小さな古いわら布団の上にひれ伏しました。
すると、「立ちなさい。」という声が聞こえました。私は、立ち上がり、歩きだしました。そして私の背後にあった野原に戻りました。そこは荒れたヤマヨモギの原でした。
そこに、私から10フィート(編注:3メートル)と離れていないところに、一人の男の人が立っていました。白い衣服をまとった、小男でした。腕をこのように組んで、どちらかといえば短い髭をはやし、髪は肩まで垂れていました。その顔は横を向いていました。このように。穏やかな容貌でした。しかし、私は理解できませんでした。どのようにして、彼は片足を前に出して。風が吹いていました。衣服は動いていました。ヤマヨモギに風が吹いていました。
「ちょっと待てよ。」と私は思いました。私は自分を噛んで見ました。「夢をみているのではない。」と私は言いました。私は、小さなヤマヨモギの茎をちぎって、それを、こう、つまようじのようにして、口にくわえました。私は振り返って家のほうを見ました。「いや、私は家の中にいて父のために祈っていたのだ。そのとき、どこからか声が聞こえてここに来るように言われた。そしたら、ここにこの男の人が立っていたのだ。」
19「このかたは主イエスに似ている。」と私は思いました。「本当にそうだろうか。」その人は正確に、今私たちの家がたっている方角に顔を向けていました。それで私は、こちらの方に回ってよくその顔を見ようとしました。それでもまだ同じ横顔しか見えません。しかしその人は、、、私は、ずっとこちらに回って、見ようとしました。「うむ!」と私はうなりました。彼はまったく動きません。「呼びかけてみよう。」と私は思いました。「イエス様。」すると主は、このように振り向かれました。これが私が記憶していることのすべてです。主は私に御手を差し伸べられたのです。
主の御姿、御顔の性格を描ける芸術家は世界に一人たりともいません。ホフマンの「33才のキリストの顔」が私がみた限りでは最高のものです。私は、それをすべての文献、私が使うすべてのものに利用しています。なぜなら、それはまさにそっくりに見えるからです。まあかなり近い、ぎりぎりの近さまで行っていると思います。
主の姿は人間のように見えました。もし主が話されたら、世界の終わりが来るような姿をされておられましたが、愛と慈しみに満ちておられ、あなたがた—あなた、、、私はただ倒れこみました。太陽の光の中で私は意識が戻り、ちょうど夜が明けるころでしたが、パジャマのシャツは涙でびしょ濡れになり、それから我にかえって、ヤマヨモギの原を通って家へ戻りました。
20私は、そのことを、友人の牧師に話しました。彼は「ビリー、それはあなたの気を狂わせますよ。」と言いました。「それは悪魔だよ。」と言いました。「決してそんなことに関わりあって馬鹿をみちゃいけないよ。」当時私は、バプテスト教会の牧師でした。
さて、私は、もう一人の古い友達のところへ行きました。私は腰を下ろすと、その話を彼にしました。「それで、あなたはそのことについてどう思う?」と彼に聞きました。
「そうだな、ビリー、私はこう思うよ。」と彼は切り出しました。「君がちゃんと生きていこうと思うなら、聖書に書いてあることだけを説教していればいいんだよ。神の御恵ととか、そのようなことをね。私はそこからそれて、そのような空想的なことを追いかけることはしないな。」
「兄弟、私は、何も空想的なことを追いかけようとしてるんじゃないんだよ。」と私は言いました。「私は、ただ、その正体を知りたいと思っているだけだよ。」
「ビリー、昔は教会でそういうことがよくあったんだよ。しかし、使徒が亡くなったらそれらの出来事もいっしょに止んでしまった。」と彼は続けました。「今では、そのような出来事があれば、、すべてそのような目撃談は、心霊論者か悪魔だよ。」
「ああ、ブラザー?マッキンニー、あなたは本気でそんなことを」
「もちろん、本気だとも。」と彼は言いました。
「ああ、神様よ、私を憐れみたまえ」と私は言いました。
「わたしは、わたしは、、、ああ、ブラザー?マッキンニー、いっしょに神に祈ってくださいませんか。私にこのようなことがもう二度と起こりませんように。私は神を愛しています。このようなことで間違いを起こしたくありません。」と私は言いました。「私といっしょに祈ってください。」
「ブラザー?ビリー、祈りましょう。」私たちはその場で、牧師館の中で祈りました。
私は数人の牧師たちに聞きました。いつも同じような答えが返ってきました。そのうち聞くのが怖くなりました。人々が私を悪魔と思うかもしれないからです。私は—私はそんなことになっては困ります。私は自分の心の中で何かが起こったことを感じました。ただそれだけのことです。心の中で何かが起こったのです。もう再びそんなようにはなりたくなかったです。決して!
21それから、数年経った後、当時私が属していた第一バプテスト教会で、わたしは、誰かがこう言っているのを耳にしました。「あなた、昨夜のホーリーローラーズは聞いておくべきでしたよ。」
「ホーリーローラーズ?」私は気になりました。低音歌手である友人のウオルト?ジョンソンでした。
私は「ブラザー?ウオルト、それ、なんですか。」と聞きました。
「あのペンテコステの連中さ。」
「なに?」
「ペンテコステだよ!」と彼は言いました。「見たことないのかい。彼等は床の上をごろごろ転がり、飛び上がったりするんだ。彼等が言うには、ああやって未知の言葉でガヤガヤ言っていないと救われないのだそうだ。」
「それはどこだ。」と私は聞きました。
「なに、例の小さなテント張りの集会所さ。ルイビルの向こうの。もちろん黒人の連中だよ。」
「そうか。」と私は言いました。
「そこには白人も大勢いるよ。」
「彼等も同じようにやっているのかい。」と私は聞きました。
「そうそう、やっている。」
「変なことをするんだね。なぜそんなまねをするのかな。まあ、そういうことも起こることになっているのだろうなあ。」それは、日曜日の朝のことでした。今でもはっきり覚えています。彼は消化不良のため、乾燥したオレンジピールを食べていました。昨日のことのように思い出されます。「ペチャクチャ、ペチャクチャ、飛んだり跳ねたり。次はどんな宗教が起こるのだろう。」と私は考えていました。
22それからしばらくして、私は一人の老人にある教会で会いました。多分そのとき、あるいは前から教会に来ていたのかもしれません。ジョン?ライアンという名でした。その人に私はあるところで会いました、、、年とった、髭も髪も長くした、今ここにいらっしゃるかもしれないが、たしか、ベントン?ハーバーにあるハウスオブデイビッドから来たひとだと思いましたが。
それで、ルイビルに施設がありまして、私はあるグループ、予言者の学校とそのグループは呼ばれていましたが、私はそこへ行ってそこがどんな所か見たいと思ったのでした。それで行きましたが、床の上を転がる人など、一人もいませんでした。しかし、彼等は奇妙な教義を持っていました。そこで私はこの年取った男の人に会ったのです。彼は私を自分の所に来るように誘いました。
私は休暇でそこへ行きました。ある日、私は彼の家を訪ねました。彼は留守でした。インデアナポリスのどこかへ行ってしまったというのです。「主がお呼びになったのです。」と彼の妻が言いました。
「あなたは、そう簡単に彼を家から出て行かせたのですか。」と私は言いました。
「なに、あの人は神のしもべなんですよ。」と彼の妻は言いました。この老婦人は、かわいそうに、数週間前に死んだと言うニュースを聞かされました。彼女は心から彼に尽くしていました。妻を持つなら彼女のような人にすべきです。そうです。正しかろうと、間違っていようと。結局彼は正しかった!と私は思いました、、、とにかく、私は知っていた。彼等は、、、
23さて、彼、、、ブラザー?ライアン、あなたはここにいますか。彼はここにいません。先日はいたのです。そうでしたよね。皆さん?
ところで、彼等は、ただ手元にあるものを喰いつないで生きていました。しかし、家の中に食べるものはなにもありませんでした。本当です。それで、私は、ミシガンの池や、湖へ行って魚を釣ってきたのです。しかし魚を釣って持ってきても、家のなかには、それを料理するラードやオイルすらないのです。「あなたの夫は家に何もないままで出て行ったのか。」と私は聞きました。
「ああ、ブラザー?ビル、でも、あの人は神のしもべなんですから。かれは、、、」
私は心の中で言いました。「なんとすばらしい心がけだ。私はあなたの味方になるよ。」そうとも。「あなたは、それほど夫のことを思っている。私は喜んで、あなたの味方になって助けて上げよう。」今日、私たちは、もっと彼女のような女性、そのように妻を思う男性を必要としています。そうとも。もし夫婦がこの二人のように結び合えば、アメリカはもっと良くなるでしょう。正しかろうと、間違っていようと一緒に生活します。離婚も少なくなるでしょう。
24そこで私たちは—私たちは話し続けました。それから私は旅を続けました。そして帰路、奇妙な出来事に出会いました。私は、ミショーカという町を通りかかっていました。ふと見ると、道に小さな古い車が停めてあり、それらに大きなサインがかけてあって、それは、「イエスのみ」とありました。「あれは何だ?『イエスのみ』とは何のことだ?きっと宗教的なものには違いないが。」私はそう思って、そこへ行ってみました。そこに自転車が置かれていて、それに「イエスのみ」のサインがありました。そのほか、キャデラック、T型フォード、ありとあらゆるものに「イエスのみ」とあるではありませんか。「いったい何だろう。」と私は思いました。
そこで私は、そのあたりを探し回って、ついに見つけしました。それは宗教的な集まりでした。1500人から2000人ほどの人がいました。そこで全部の人達が叫び声を上げ、飛び跳ねていました。「ここにいたんだ、ホーリーローラーズという人達は。」と私は思いました。
あなたたちの知っている通り、私は古いフォードを持っていました。時速30マイルは出すと私が言い張っていた代物なんです。15マイルは前の方へ、15マイルは上下の方にですがね。道の側に場所を見つけてその車を停め、歩いて道を戻っていきました。入っていって覗きました。人がびっしり立っているので、その頭越しにしか見えません。人々は、喚き、飛び跳ね、転げるといった動作を続けていました。「何という人達だ、これは!」と私は思いました。
25しかし、そうして立っているうちに、私はだんだん、気分がよくなりました。「なかなかいいじゃないか。とにかく、この人達は何も間違ったことをしているわけじゃない。彼等は気違いじゃない。」彼らの中の何人かをつかまえて話を聞いてみました。そうしたら、彼等は—彼等は立派な人達だと私は思いました、、、
まあ、それで、その集会に出席して、夜通しそこにいて、その翌日もまた行きました。そのことは、すでに皆さんに、私の生涯の話をしたときに、お話ししたことがあります。私は、150名から200名のあるいはそれ以上の牧師と一緒に演壇に上がっていました。そこで一人一人立ち上がって出身地を述べることになったので、私は、「福音伝道者ウイリアム?ブレナム、ジェファソンビル。」と言って腰を降ろしました。「バプテスト。」と言って腰を降ろしました。みんながそれぞれ出身地を言いました。
26それで、翌朝私が入っていったとき、、、私は前の晩野宿をして、ズボンをフォードの二つの座席の間に寝敷きをしていて、ね、それで、私—私は、、、古びたシアサッカー(編者著:青?白の縞模様のある亜麻?綿の織物)のズボンとTシャツ、あなたたちの知っているように。それで翌朝集会に行ったとき、Tシャツを着てね。行ったんです。
私は、懐に3ドルしか持っていませんでした。それで家に帰るガソリンを買わなくてはなりません。それに私—私はロールパンも買ったのです。あなたたちの知っているように、あのような少し古くなったのをね。しかし私は、大丈夫でした。それで、水道栓へ行って、水をコップの一杯汲んできてね。かなり良かったです。それで、パンを水にたっぷり浸して朝食を食べました。
やがて、私は、彼等と一緒に食事ができたのですが、一日2回の食事でした。しかし私は献金をする金がなかったので、居候になるのは止めようと思いました。
27それで、私—私はある朝そこへ行って言いました、、、ここのところはぜひお話ししなくてはならないのですが。それで、その朝そこへ行くと、そこにいた男の人が言いました。「私たちは、ウイリアム?ブレナムという若い福音伝道師を探しています、昨夜演壇にいた、バプテストの方ですが、、、」男は続けました。「彼に今朝の集まりで福音を述べてもらいたいと思っています。」私は、これはひどい目に会うぞ。こちらはバプテストだし、こんな大勢の人の前で、と思いました。それで、ひたすら椅子の上でちぢこまっていました。私は、シアサッカーのズボンとTシャツといった格好で、それに、みんなは牧師服を着けているのです。それで、、、私は、椅子にこんな格好で小さくなっていました。男の声のアナウンスは、2回か3回繰り返されました。私は、一人の黒人のブラザーの側に座っていました。
彼等が自分たちの集会を北部で開いたのは、当時南部では差別を受けていたため、南部で彼等の集会を開くことができなったからでした。
それで、私は、この「イエスのみ」とは何のことのだろうと思ったのです。「イエスと言っている限り、間違いはないだろう。何であろうと、それがイエス様であるかぎり構わないじゃないか。」と私は思いました。
28それで私は、しばらく座ったまま様子を見ていました。それからまた2、3回アナウンスがありました。すると、私の隣の黒人のブラザーが私を覗いて、「知っている?」と聞きました。私—私—私、、、さあ、大詰めを迫られました。彼にうそをつくわけにはいきません。またうそをつく気もありませんでした。
「兄弟。はい、私は彼を知っている。」
「じゃあ、呼んでこいよ。」
「それが、実はね、それは私なんだよ。だけどね、何しろこの格好なんだ。シアサッカーズボンで。」
「行きなさいよ。」
「いや、行けない。こんなシアサッカーズボンじゃ。」
「ここには、他人の格好を気にする人などいないよ。」
「いいから、もうなにも言わないでくれ。とにかく、このシアサッカーズボンじゃ出ていく気にはなれないよ。」
「だれかウイリアム?ブレナムさんを見かけた人はいませんか。」とまたアナウンスがありました。
「ここにいるよ。ここにいるよ。」と隣の男が言いました。
29これは困った。私は顔が真っ赤になりました。ネクタイ一本しめてないんですからね。何しろこの古いTシャツ姿で、こんな小さな袖のある。私は会場を歩いて前に出ましたが、耳がほてっていました。これまでマイクの近くに立ったことなどなかったのです。
というわけで、私はそこで説教をする羽目になりました。私は説教の題目を取り上げました。私は決して忘れません。「その金持ちは、地獄のなかで上を見た。そして泣き出した。」というものでした。私が、ふだんやりつけている説教は、三つの簡単な題目のものでした。たとえば、「来りて、一人の人を見よ。」とか、「汝これを信ずべし。」とか、「そして彼は泣いた。」とか言ったものです。そして、私は話し続けました。「そこには、花がありませんでした。それで彼は泣きました。そこには祈りの集会がありませんでした。それで彼は泣きました。そこには子供がいませんでした。それで彼は泣きました。そこには歌声がありませんでした。それで彼は泣きました。」そう言って、私は泣きました。
30私の話が終わったとき、私はまったく驚きました。みんなが、周りから、やってきて、自分たちのところへ来て集りをもってくれと頼むのです。「これじゃ、自分もホーリーローラーの一員ということだわい。」と私は思いました。わかりますか。そこで私は、思ったのです。「たぶん、、。」お分かりでしょう、その人達は立派なひとたちでしたよ。
私はそこから出ました。そこにカウボーイブーツをはき、大きなカウボーイハットをかぶった男がいました。「あなたはだれですか、」と私は聞きました。
「私は、テキサスから来た長老だれそれです。」
私は心中「この格好はまるで、、、」と思いました。
こんどは、ニッカーボッカーのズボン─そう昔ゴルフのときに、ジャージーのセーターなどとの取り合わせではいていた─の男が近づいてきて言いました。「私はフロリダから来た、だれそれ牧師です。今度私たちのところへ来て、、、」
「ここでは何の気がねもいらないんだ。こんなシアサッカーやTシャツを着ても。良いんだ。」と私は思いました。
31この辺の話は、すでに皆さん知っていらっしゃると思いますので、これだけにして、今日は一つ、今まで申し上げたことのないお話をしたいと思います。その前に一つお願いがあります、、、私は、じつは、今日その話をしようとは思っていなかったのですが、私はこのことは、今までだれにもお話ししたことはありません。皆さん、お約束していただけますか。この話をお聞きになったあとも、話を聞かれる前と同様に、私を愛して下さる、愛するように努められると。手を上げてください。よろしい。ではお約束ですよ。責任をもってくださいね。
その晩集会に出席すると、みんなが手をたたきながら歌っていました。彼等は、「私は、、、」あの歌「私は知っている。それは主の血。私は知っている、それは主の血。」という歌を歌っていました。そしてみんな、通路を走って行ったり来たり、様々な仕草をしながら、喚いたり、主を誉めたたえたりしていました。「これは何と素晴しい響だ。」と私は思いました。
32彼等は、絶えず使徒行伝を口にしました。使徒行伝2章4節、2章38節、10章49節が絶えず引き合いに出されました。「これは聖書じゃないか!こんなことには、これまで一度も出会ったたことがなかった。」と私は思いました。私は心が燃え立つようでした。「すばらしい!」最初私は、彼等のことをホーリーローラーの一味というふうに考えていました。今や、彼等は「天使」の一味となりました。という具合に、私は、たちまち心変わりがしたのです。
それで、主の恵でこのような素晴しい集会を持てた翌日の朝、私は、「よし、この連中と一緒にやっていこう!これは昔『叫ぶメソジスト』と呼ばれていたのと同じものに違いない。今は少し極端化しているだけで。」と思いました。「おそらくそうなんでしょう。」それでこう思ったのです。「とにかく、私は彼等が気に入った。どこか心がひかれるところがある。控え目で、人がよくて。」
33ここで、一つだけ私に理解できなかったのは、彼等が異言で話していることです。これには困りました。それで私、、、例えば、人がここに一人、その隣に一人座っています。彼等はリーダーです。その一人が立ち上がって異言で話し始めます。すると、もう一人がそれを訳して、会合についてのことなどといった内容を知らせるという具合です。「私はそのことを理解できなくちゃ!」と私は思いました。また逆に。こちらの人が始めたのが、今度はあちらの人に戻って渡されます。そしてお互いに相手の異言を訳するのです。教会の、他の人達も異言を話すのですが、この二人の場合のように訳が行われているようには見えません。この二人は、互いに寄り添って座っていました。「彼等は、きっと天使に違いない!」と私は思いました。それで、そこに座っている間に、、、
何か全く訳の分からないことが私に起こるとき、神が私の心に浮かびます。そんなとき、私は—もし主が私にそれを分からせようと思し召すなら—それを知る方法があるのです。そうです。しかし、私は決して、、、今まで一度もそのことを公の場所で話したことがないのはこういうわけです。もし私が何か本当に知りたいと思うことがあったら、たいてい主がそのことについて教えて下さるのです。これが、主が私に下さった賜なのです。分かりますか。ですから、それを平気で公衆の前に投げ出すわけにはいきません。そんなことをすれば、まるで豚に真珠をやるようなものです。これは畏れ多い神聖なものです。そういうことは慎まなければなりません。神は、私に責任をとらせます。兄弟たちと話すときなど、私は兄弟のあら捜しをするようなまねはしないことのように。
34ある日、ある男の人と同じテーブルに座っていると、彼は私に腕を回して言いました。「ブラザー?ブレナム、私はあなたを愛しています。」私はさっきから何かが動いている感じがしていました。私は彼を見ました。彼にそんなことが言えるはずはありません。彼にそのつもりがないことは明白でした。なぜなら、彼は完璧な偽善者—もしそんな人が存在するなら—だからです。それが、私の体に腕を回しているのです。
「そうですか。結構です。」と言って私は立ち去りました。私はそのことで、あれこれ詮索したくありません。私にとって、彼は、これまで通りの、兄弟として知っていたときのままの彼でよいのです。あとは神にお任せするだけです。分かりますか。私は、そんなことなど、、、知らないし、知りたいとも思いません。
それから、こんなことがよく起こります。教会では起こりませんが。私が自分の部屋とかレストランで座っていますと、聖霊が私にこれから何が起こるか告げるのです。ここにおられる皆さんはこれが真実であることを知っていらっしゃると思います。私が家にいるとき、周りの人に言います。「気をつけていてね、やがてここに車が来ます。その人はこうこういう人です。私のところに案内してください。主が私に彼が来ることをお告げになりましたから。」また、「道を歩いているとき、何か事故が起こりそうだ。向こうの横断歩道では注意しなさい。あなたは危うく車にひかれそうになる。」それは、「ただ、、、?、、、私だけにそういうことが分かるのです。そうです。いつでもまさに完璧にです。ですから、あまりそのことに深入りしてはなりません。なぜなら、人は、それを、、、それは、、、利用することができるからです。それは神の賜です。それで何をするか気をつけなければなりません。神があなたに責任を負わせているからです。
35モーゼを見てみましょう。モーゼは神が遣わした人です。(それを信じますか)神に予定され、神に運命づけられて、預言者となった人です。神が彼を遣わされるとき言われました。「行って岩に話しかけなさい。」モーゼが岩を強く打ち当てると、神は言われました。「岩に話しかけなさい。すると水が出てくるであろう。」
しかし、モーゼは怒って、出ていって、岩を打ちつけました。水は出ません。彼は再び岩を強打しました。「おまえら、裏切り者め!おまえらのためにこの岩から水を出す必要があろうか?」
そこで、神はどうなされたでしょうか。水は出ました。しかし神はモーゼに言われました。「モーゼよ、ここに上がってきなさい。」これが最後でした。いいですか。自分の行為、神から授けられた賜物を使うに当たっては慎重でなければならないのです。
36牧師の場合も全く同様です。立派な、強力な牧師は出ていって、説教を行い、寄付や献金を集めますが、神は彼に責任を負わせます。
そうです。天賦の才能を使うに当たっては気をつけなければなりません。自分の教会や自分自身のために威信や名声を求めたりしてはなりません。私は、むしろ二晩あるいは三晩、集会を開いて、地道な仕事をして、いばらず、腰を低くしていたいと思います。皆さんは私の申し上げていることがお分かりでしょう。そうですとも。皆さんは、神の御手が届くところにおられるよう心がけてください。このことは中にある神の命です。覚えてください。
37さて、それで、その日のことですが、私は考えました。「よし、一つ歩き回って見よう。」私は、まあ、その人たちに本当にびっくりさせられました。「どんな人達か確かめて見よう。」そう思って、礼拝のあと庭に出て、探し回りました。するとあの二人のうちの一人が見つかりました。「初めまして。」と私は丁重に挨拶しました。
「初めまして。今朝説教をした若い牧師はあなたかね。」と彼は聞きました。
私は「はい、そうです。」と礼儀正しく答えました。当時私は23歳でした。
「何という名だね。」
「ブレナムです。あなたさまは?」
彼は自分の名前を言いました。私は、「さて、ここで、うまく彼の霊と接触できたらなあ。」と思いました。私は、心中、別にこれといっためどもなしに会話を続けました。「あなたたちは、私にはない何かを持っていらっしゃる。」
「あなたは入信して以来聖霊を授ったことがあるかね?」と彼は聞きました。
「でも、私はバプテストですが。」
「入信して以来聖霊を受けたことがあるかね?」
「どうも、ブラザー、おっしゃることの意味がよく分かりませんが。」「私、、、あなたがたは皆、何か私にはないものをが持っている。それは分かります。何か強力なものをあなたがたは持っていらっしゃるように見えるから、、、」
「異言で話したことがあるかね。」
「いいえ、ありません。」
「それじゃ言おう。あなたは、聖霊を受けていないよ。」
「でも、もし私、、、もし聖霊を得るためにはそれが必要と言われても、私にはそんな経験がないのです。」
「もし異言で話したことがなければ、まだ聖霊を受けていないよ。」
38こんな会話を続けているうち私は尋ねました。「では、それはどこで授ることができるのですか。」
「あそこの部屋へ行って、聖霊を求めなさい。」
そこで、私は、注意して見ていました。彼は私が何をしているのか知らないようでしたが、変に思っていたに違いありません。と言うのは、私を見るときの彼の目が少しどんよりしてきたからです。そして彼は、、、でも彼は本当のクリスチャンでした。見るからに、100パーセント完璧なクリスチャンでした。本当に。「神様をほめたたえます、さあ、あの祈念所をどこかで見つけなくちゃ。」と私は考えました。
39「もう一人の人を見つけよう。」と考えて、私はいたるところを探し回りました。やっと彼を見つけて、私は丁重に話しかけました。「始めまして、」
「あなたの教会はどこかね?バプテストだということだが。」
「そうです。」
「あなたはまだ聖霊を受けていないようだね。どうだね?」
「さあ、分かりません。」
「異言で話したことがないんだね。」
「はい、ありません。」
「あなたは聖霊を受けていないよ。」
「それは分かっています。あなたがたにはあって、私にはないことは知っています。しかし、ブラザー、私もそれがほしいのです。本当に。」
「よし、プールはすでに準備されているんだよ。」
「私は洗礼を受けています。しかし、私にはまだ、あなたがたが授かっているもので、私に授かっていないものがあります。あなたがたは、 私が本当にほしがっている何かをお持ちなのです。」
「それはけっこうなことだ。」と彼は答えました。
40私は、何とかして彼をつかまえてやろうと考えました。もし私が、、、やっと彼(と言うのは、もう一人の男の人のことですが)の霊と接触しました。この人は、もし私がこれまで会った最低の偽善者は誰かといえば、まちがいなくそのうちの一人に数えられる人なのです。彼の生活、、、彼の妻は黒い髪の毛の人でしたが、彼は金髪の女と同棲して彼女に二人の子供を生ませていました。酒を飲み、人を罵り、酒屋に入り浸たり、あらゆる悪行をつくしていました。にもかかわらず、彼はいくつもの異言を話し、預言を行っていたのです。
それで私は、「主よ、お許しください。」と言って、家に帰りました。そうです。「私はただ、、、私には理解できません。神聖なるべき聖霊があの偽善者に宿るなどということは。ありえないことです、絶対ありえないことです。」
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