今日も障害者の姉とのちょっとしたエピソードを書きたいと思います。
私が障害者と暮らす中で、どういったことを感じ考えたのかの備忘録のようなものです。
今の私に良くも悪くも影響を与えているなと思うのが『諦念』です。おそらくですが姉との関わり(まあ他家族との関わりなどもちろん原因はそれだけではありませんが)が私を他人に期待しない人間にしました。
幼くても何回も何回も同じことが続くと、「これはどうにもならないことだ」ということを理解します。
姉と良好な関係を築こうとしたり、姉が自分でできることを増やそうと親に提案してみたり、時々は支援を自分でしてみたり(本当に時々、そしてほんのちょっと!笑)。
そして結論に辿り着きます。
私が何をしたところで姉は変わらない。
姉自身も、姉を嫌だなあと思う私自身も。
どんなに考えても対処してもどうしようもないことがこの世の中にはある。
皆いつかは気付く当たり前のことなんですけどね。
絶対変わらないなんてことはなかったかもしれませんが、当時子供だった私にはそれ以上何かをすることもできず、何も変わらないという無力感だけが残りました。
そこから姉への嫌悪感が加速した結果、私は姉を無視するようになります。
姉に話しかけられても無視。何かしてるなと思っても存在しないつもりで過ごすようになりました。
まあそれでも、癇癪起こすし部屋で爆音で音楽流しながら歌ってるし垂れた涎踏むしで嫌でも存在認知するんですけど。
それにいちいちイライラしても、姉に「やめてほしい、直してほしい」と伝えても意味がないことを学習したわけです。
そうして今の、嫌なことがあったら瞬間的に考えないようにする、忘れるといった思考の私が出来上がったのでした。
@osakana さん、こんにちは。
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